「丹羽の誇り」


 丹羽健太郎には、他人に自慢できるものがこれといってなかった。
 外見は贔屓目で見ても中の中の下が良いところだし、体育の成績も5段階
評価で常に3、かといって頭が特別良い方でもなく、資産家の生まれでもな
い。
 趣味といえるものも特にはなく、強いて挙げるならテレビゲームとコミッ
クが好きだ。どちらも格闘ものが好きで、気持ちが高揚する。
 女性と交際した経験は1度もないが、その直前までいった経験ならあった。
何だか解らないうちにフラれる格好になってしまった。未だに原因が解らな
い。
 女性にモテた経験は小学校以来皆無なので、この先出会いがあるのかと心
配になってしまっていた。童貞はいつ頃捨てられるだろうか?
 丹羽は、他人よりも優れた能力や才能を持った人が羨ましかった。
 天才バイオリニストだとか、メジャーリーグで活躍できる運動能力だとか、
そんな大それたものでなくても構わない。
 俺はこれだったら、そんじょそこらのヤツには負けないぞという程度のも
ので充分だ。
 何かそういうちょっとした自慢になるものでもあったら、どんなに良いだ
ろうと常々思っている。
 そういう人達は自信に溢れていて、楽しく人生を過ごしているように見え
るのだ。
 丹羽は、自分が彼らから見下される対象であると気付いていた。
 例えば女にモテるヤツと女性の話をする。
 モテる秘訣だとか、女性を陥落させるコツだとかを得意げにレクチャーさ
れるだが、言葉や態度の端々に優越意識が感じられたりする。
 例えば1流大学の人間と会話をする。
 丹羽の通う2流大学の名前を聞いた途端に、兄貴分みたいな態度になられ
た経験がある。
 むしろ心が貧しく醜いのは彼らの側だと思うのであるが、どうしても羨ま
しいという感情を否定できなかった。
 丹羽は極端にダメな部類の人間でもないので、彼より下の人間だって勿論
たくさんいる。
 頭が悪い人間、運動音痴な人間、見にる耐えないブサイクな人間、こういっ
た人達と接すると優越感がこみ上げてくる。しかし、いつも同時に自己嫌悪
にも襲われてしまう。
 あの醜い連中と、自分だって変わりはしないのだと。
 これといった取得もなく、かといって悟ることもできない。
 それが、丹羽健太郎という個人の現状であり、大まかな自己評価だった。


 その女性が丹羽の前に現れたのは、秋の初旬だった。
 一つ先輩で、西洋文学部に所属する2年生。美人とは言えないが愛嬌があ
る顔立ちで、真っ直ぐなキラキラと輝く目が印象的な女性だった。まだ明ら
に残るあどけなさは、度々先輩である事を失念させた。
 そして何より丹羽に印象的だったのは、自信に溢れた雰囲気だった。
 名前を、宮崎 真由という。
 元々は友人の知り合いだ。帰り際、その友人と食事をしようとした時に偶
然遭遇し、じゃあ一緒にという事になったのが切っ掛けだった。
 食事中はこれといった事件もなく過ぎ去ったが、帰りの電車が同方向であっ
た巡り合わせが、丹羽の大学生活を大きく動かす結果になった。
 サークルの話題になると、丹羽は「何もやっていない」と回答した。いつ
も何となく嫌な気持ちになる時間だ。
 宮崎は少し意外そうな嬉しそうな表情を浮かべてから、彼女のサークル活
動の話をした。
 <たんぽぽ会>というボランティア団体だった。
 <たんぽぽ会>は大学単独の団体ではなく、関東を中心に全国に広がるボ
ランティア団体で、どうやらその支部という形らしい。正確には、<たんぽ
ぽ会 翔海大学支部>だそうだ。
 活動内容は、世界の恵まれない子供達や災害地域への募金活動、手軽にで
きる各種ボランティア活動、週1回の勉強会などで、世の中に素晴らしい貢
献をしているのだと熱弁を奮った。
 丹羽は、宮崎の話を一種嫉妬の想いで聞いていた。
 こんなにも熱心に何かに打ち込めるのは、正直羨ましかった。
 宮崎は自分とは比較にならないくらいエネルギッシュで、活発だ。全身か
ら充実感と前向きさが伝わってくる。
 宮崎を目の前にしていると、自分が更につまらない人間に思えてきた。混
沌とした薄暗い気持ちになってしまった。
 だが、丹羽の心を動かした宮崎の言葉があった。
「私、大した事は何もできないけど、せめて世の中の役に立ちたくて」
 そうか、何かの役に立つというのも良いかもしれない。
 自分の行動で誰かの命が助かる。
 自分の行動を誰かから感謝される。
 そういうのも、悪くないだろう。
 つまらない自分という人間でも、何かの役に立てればそれは素晴らしい事
なのではなかろうか。
 そうすれば、彼女の活発さや充実感は、自分のものになるのだろうか?
 丹羽の目の色が、宮崎のそれに若干ではあるが接近した。
 宮崎だけが、それを敏感に感じ取った。
 <たんぽぽ会>の見学を誘うと、やや戸惑いの様子を見せながらも、丹羽
はあっさり了承した。
 2日後、丹羽は<たんぽぽ会>の正式な会員になった。


 <たんぽぽ会>は、会員数は41人。幽霊会員を除けば、35人ほどの組
織だ。
 学校の公式の部ではなく、私設サークルである。 
 仲間達は皆優しく丹羽を迎えてくれ、気さくな良い人達ばかりだった。ま
た、今時こんなに純粋な人達も珍しいと、丹羽は漠然と感じた。
 どこか異世界のような空間だった。
 学校の空き教室を借りて行われる週2度の定例会では、活動実績や今後の
活動について、そして社会問題全般も話合われる。
 月曜日が活動内容の日で、木曜日が勉強会の日だった。
 ボランティア団体としての側面だけではなく、人間としての成長も活動の
主要な目的であると、丹羽は説明を受けていた。
 初めて行ったボランティア活動は、校内敷地の掃除だった。
 参加人数22人が日曜日に朝から集合し、それぞれブロックに分かれる。
 丹羽達4人のグループは東側の一画を任さた。
 今まで意識しなかったが、こんなにもゴミは落ちているものなのかと、丹
羽は驚いた。
 大量の煙草の吸い殻に空き缶、お菓子の包み紙など、あちらこちらで見か
けられる。
 大きなゴミは手で拾い、小さなゴミはホウキとチリトリで取る。
 アスファルトの上の小さなゴミは、ホウキとチリトリでも思うように取れ
ずに苦労した。
 ゴミを捨てる連中に腹が立ったが、他のメンバーは楽しそうに作業をして
いるので、丹羽の気分もすぐに落ち着いた。
 約3時間で、丹羽達のグループの担当区域は終了した。
 燃えるゴミと燃えないゴミに分けられた大きなゴミ袋2つのうち、燃えな
いゴミの方はほぼいっぱいになった。
 ゴミ拾いは、中学の時の行事で強制的にやらされた記憶がある。ただかっ
たるいだけだった。
 けれど今日の作業は、不思議と楽しかった。
 勿論他のメンバーとすぐに馴染めたのも大きかったが、自分の意志で良い
事をしているんだという意識が、丹羽をやや高揚させた。
 そして殆ど接した事のないメンバーとの会話と共同作業は、とても新鮮な
刺激だった。
 ゴミを11号館の決められた場所に移動している時、
「でもまたすぐに汚されちゃうんだけどね」
 一緒に回った3年生の女子、朝比奈が言った。少し寂しそうだった。
「誰かがやらないといけないんだから」
 丹羽の声からは、励まそうとする意志が感じられた。
 朝比奈は、「そうだね」と笑った。今時真っ黒な長い髪が印象的な美人で、
丹羽はドキっとした。
 丹羽は救われた気持ちになり、そうだ今度学校をきれいに使うように呼び
かけるキャンペーンをしたらどうだろうかと、思いついた。そうすると、気
持ちはとても高揚した。
 全てのグループが作業を終えるのを待ち、今日の活動は終了となった。
 時間は昼過ぎ。まだ一日が終わるには早い。
 皆で<たんぽぽ会>行き付けの食堂で食事をし、その後はボーリング大会
という事になった。いつものパターンらしい。
 丹羽は勿論参加した。
 久しぶりのボーリングは散々なスコアだったが、すごく楽しかった。
 ボーリングの後はカラオケ。丹羽はどちらかというと下手な部類だが、同
室だったメンバーが盛り上げてくれた。これもすごく楽しかった。
 人数が半分ほどに減っていたが、夕食会にも参加した。
 ここでは、真面目な話が交わされていた。
 サークル内部の話は、丹羽には解らないところが多かったけれど、真面目
に聞いた。
 3年生男子の杉原会長の話はレベルが高く、丹羽は感心しきりだった。
 背は低めで小太りなのだが、カッコ良く見えた。外見とは関係ないカッコ
良さを、丹羽は初めて知った気持ちになった。
 その会長と対等に渡り合う宮崎にも、違った面を見た感じで驚いた。子供っ
ぽい雰囲気は、この時はどこかに行っていた。
 丹羽は思いきって、先ほど思いついたキャンペーンの話題を出してみた。
 すぐにそれは良いアイデアだねという話になった。
 明日の定例会で発案してみようという展開になり、その発案者は丹羽に当
然のように任された。
 丹羽は得意な気持ちになった。プレッシャーも感じた。
 宮崎が「良い新人を連れてきたね」とカラカワれているのを見て、丹羽は
少し恥ずかしかった。
 ふと、ここが俺の居場所だと、丹羽は感じた。


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