「うるさい男」


 その靴の先端は凶器になりそうな程鋭く、ヒールはやや低いながら小枝のように細かっ
た。血を思わせる赤色は鮮やかで、中には気取ったフォントの金文字があった。英語か何
からしいが、崩しが極端で読み取れない。最初の文字の”E”だけがかろうじて判読でき
た。値札には15000円を消し値にして、8800円と書かれている。
 靴は右足側だけ、女性の手に取られていた。明るく人懐っこい雰囲気の女性で、金髪に
近い茶髪が外はねにセットされ、派手めの装いをしている。首からぶら下げた携帯電話に
装着された、色とりどりの賑やかなストラップの束が印象的だ。すぐ後ろには連れ添いの
男性がいた。一転、こちらは一昔前の優等生を思わせるタイプだ。背後を通る人間のため
に、身体をひしゃげて立っている。店内はほど良く混み合っており、若い女性が多かった。
「ねえ、これ良くない?」
 今時の語尾を抜くような発音だ。赤くラメラメと輝くそれを男の目の高さに持ち上げる。
男の表情が渋くなった。
「良くないよ」
「なんでえ? かわいいじゃん!」
「こんなに先端が細い靴を履いていたら、外反母趾になる」
「なにそれ、つまんない〜」
 女は不満そうに、唇をとがらせた。
「それに外で何かあった時に、こんな靴じゃ走れないだろ」
「いちいち気にしないよ」
「じゃあかわいい靴を履いて、その中の親指は内側に醜く曲がっている方が良いのか? 
変質者に追いかけられた時に、逃げ切れなくて良いのか?」
 男の声は、自信と確信に満ちていた。真剣な眼差しで、女の反応を伺っている。女は気
迫負けした。
「それはヤダけど……」
「だったら、この靴は諦めよう。ほら、あっちにスニーカーがある。スニーカーにもかわ
いい靴はあるよ」
 男はにんまりと微笑んだ。スニーカーなら外反母趾にもならないし、走れるというわけ
だ。
「え〜〜〜?? この前買った服に合わない〜」
「じゃあせめて、もっと柔らかい素材でつま先が広くなっているのを選択するべきだと思
う」
 女は、露骨につまらなそうな顔した。渋々、赤い靴を元の棚に戻す。微妙にズレている
が、気にしない。女は再び靴の物色を始めた。いかにも気が乗らないという様子になって
しまった。その間に、男は先ほどの微妙なズレを修正する。思った以上に固い感触だった。
 この二人は、女の方の誕生日プレゼントを買いに来ていた。明日で17歳だ。男とは同
じ高校のクラスメートで、一応は恋人同士だ。一応というのは、交際を開始したのがつい
1週間前だからだ。男―天田 由紀夫が告白したのが切っ掛けで、女―青木 雅はあっさ
りと了承したのだった。周囲からは意外がられるカップル誕生だったが、雅は「たまには
真面目なタイプとも付き合ってみるか」と軽い気持ちだった。今のところ新鮮さが勝って
いて、まあ楽しい。外見も男っぽくて、悪くはない。普段付き合っている男友達には、間
違いなくいないタイプだ。
 ふと雅の視界に、店の奥のブーツコーナーが入ってきた。そういえば、ブーツも欲しい
なと思っていた。まだちょっと早い気もするけど。すっと人差し指を向け、
「ブーツでも良いよね?」
 由紀夫は少し考えた。
「ダメ! ブーツは水虫になる」
 期待に満ちた雅の笑顔は、一気に消沈してしまった。

 結局、プレゼントはやや高級なアクセサリーで落ち着いた。これもやれ金属アレルギー
の危険が何だと言われて手間取ったが、安全だからと純銀のネックスが選択された。天使
の羽が開いているデザインで、雅は大変気に入った。気に入ったので、とりあえずはご機
嫌も直った。早速、プレゼントされたそれにネックレスを付け替える。想定した以上に似
合っていて、由紀夫に誇らしげなような照れたような気持ちがよぎった。
「由紀夫、そう言えば銀ってさあ、金属アレルギーになるんじゃなかったっけ?」
「いや、銀は金属アレルギーには極めて安全だよ。金は最近では事情が変わってきている
けどね」
「だってこの前さ、言ってたよ」
 付き合い始めた初日に、外人が出している露天の純銀製の指輪をねだった時の事だ。そ
の時も由紀夫は、金属アレルギーを理由にして断ったのだ。
「ああ、それは露天の純銀はアテにならないからだよ。ニッケルが混ざっているケースも
あって、このニッケルが金属アレルギーの大きな原因になるんだ」
「へー、そうなんだ」
 よくもまあ色々知っているものだと、雅は感心してしまった。同じくらい生きてきて、
何故こうも知識の幅が違うのかと、不思議だった。由紀夫と話していると、自分が随分と
頭の悪い人間に思えてくる。
「ねえ由紀夫、似合う?」
「ああ、とっても」
「本当に?」
「本当にだよ」
「へへへ」
 雅は照れくさそうに口元を弛めた。まだ多分に残るあどけなさのせいで、子供っぽく映
る。青いアイシャドウにばっちりマスカラなどで大人っぽく演出している化粧でさえ、そ
の印象を引き立てているようだった。
「そろそろ、ご飯食べに行こうよ!」
「ああ、うん」
 雅は由紀夫の手を握り、エスカレーターの方に導いた。夕食には少し早い時間だったが、
昼食が軽かったのでそこそこお腹も減ってきている。上りのエスカレーターに乗った。横
に並ぶのはマナー違反なので、由紀夫は雅の一つ下の段に位置した。
「雅」
「なに?」
「化粧はしなくても良いんじゃないのか?」
「なんで?」
 エスカレーターで8階のレストラン街に着くまで、雅は化粧による肌への悪影響の話を、
みっちりと聞かされた。若いうちは肌が美しいのだから、化粧は必要ない。化粧で肌が老
化してしまうのだから、ある程度年齢がいってから化粧を始めた方が、より長い間綺麗で
いられるという理屈だった。雅は「はあ、それはごもっともな話で」と、脱力しながら思っ
た。それなので思わず、
「もう、うるさい!」
 と怒鳴ってしまった。由紀夫は意外そうな心外そうな顔をした。心底その反応が理解で
きない様子で、何度も何度も何故怒ったのかと理由を尋ねてきた。雅は面倒だったので、
それをなあなあにかわした。夕食のうどんが目の前に現れるまで、雅は少し不機嫌のまま
だった。

 二人の交際は2ヶ月目に入った。雅はいい加減、由紀夫の口うるさいところに辟易とし
ていた。何をするにも何を言うにも、ああだこうだと口を挟んでくる。好きなお菓子を食
べていれば保存料や着色料の害の話、夏になったら海に行こうよと誘えば紫外線の害の話、
その他やれ夜更かしはタメだの栄養バランスがどうのと、生活のダメ出しも頻繁だ。
 由紀夫の話題と言えば政治・経済、社会問題の話、最近凝っているサルトルの話など、
おおよそ雅とは接点がない。雅がテレビドラマやファッション、馬鹿な友達の話などをし
ても、極めて反応が薄いのだった。よく聞いているようなフリだけして、その実自分が話
したくてウズウズしている様子で、終わりを急かすようなタイミングの相槌を打ってくる。
 優しいし、おごってくれるし、外見は友達の手前も恥ずかしくはないし、いっぱい褒め
てくれたりもするのだけれど、どうも合わないなあというのが雅の正直な印象だった。何
だか独り善がりにも感じる。
 そんなわけで、雅は由紀夫と別れる事に決めたのだった。雅にしてみたら、別れるとい
うよりも、お試し期間が終了した後に本契約を結ばないといったようなものだった。
「え? 何、突然」
 由紀夫はまた、心底意外そうな表情をした。頻繁にするこの意外そうな顔が、雅には妙
にシャクだった。
「だ・か・ら、由紀夫とわたしは相性良くないよ。別れよ」
「まだお互いよく知りもしないで、相性なんて解らないだろう?」
「色々うるさく言われるの、もう嫌なの!」
 由紀夫は神妙な面持ちで目を閉じ、1回深く頷いた。
「お前のためを思って言ってるんだよ」
「誰も頼んでないよ」
「雅、お前はまだ本当の愛っていうのが解っていないみたいだな。適当に合わせて付き合
うのが愛じゃないんだよ。相手のためを思えば、耳に痛い事も言ってあげるのが本当の愛
じゃないのか?」
「……」
 由紀夫の発言は明らかにどこかおかしいのだが、それが解っていてもどこがおかしいの
かまでは、雅には解らなかった。
「今まで刹那的にその場その場が楽しければ良いっていう風に生きてきただろ? そんな
んじゃダメなんだよ。俺はお前のそういうところが見えるからさ、あえて言うんだよ」
 由紀夫の目は、今まで以上に優しかった。
「もういいよ、うるさい……」
「ほら、そういう気持ちがダメなんだ。聞く耳を持っていなければ、人間は成長しないよ? 
お前は今のまま……」
「だから、うるさい!」
 雅の怒声に、由紀夫は沈黙した。
「そうやってさ、イチイチ口出してくるのがウザイの!」
 由紀夫は思考した。雅は自分のために色々と言ってくれる有難さを全く理解していない
様子だ。これはそういう愚かな生き物で、本当の愛を刹那的な感情で拒絶しているのだ。
男性を正当に評価できずに、良くないテキトーな男と付き合ってしまうタイプなんだ。
 しかしだからこそ、由紀夫は雅を愛しく感じた。自分が必ず幸せに導くのだと、決心を
深めた。由紀夫は両腕を広げて、雅に微笑みかけた。この胸に飛び込んでおいで。また1
からやり直そう。一緒に成長しよう。愛しているよ。
 雅はここに来て初めて、取り返しのつかない事態になっているのではないかと気づき始
めた。
 この後由紀夫は、ちょっとした事ですぐに別れてしまうような交際姿勢の弊害について
小一時間語り続けた。


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