「超・嫌煙家」


 木村雄一郎は、煙草が嫌いだった。
 煙草の煙は、非喫煙者であれば誰もが嫌なものであろうが、
木村のそれは凄まじかった。
 何にでも、程度の差というものはある。
 近くで吸われようものなら、彼の神経はそれを耐える事に
集中を余儀なくされ、他の一切の活動ができなくなる。
 一つ一つの呼吸を限界まで浅くし、極力煙を吸い込まない
ようにする。
 まともに吸い込めば、肺がキリキリと痛み始める。
 こんな状況では、会話などとんでもない。
 かといって、木村は周囲に煙草を遠慮させるほど立場も強
くなく、またそれを要求するような気概も持ち合わせていな
かった。
 友達と食事に行く度、人ごみを歩く度、木村の鬱憤はたま
り放題となっていき、そろそろ限界に達しようとしていた。

 そもそも何故煙草などを吸いたがるのか、木村には疑問だ
った。
 煙草は健康に悪い。
 子供でも知っている。
 ガン発生の約30%の原因が、喫煙によるものだとされて
いる。
 循環器系にも悪影響を与え、心筋梗塞になったり、クモ膜
下出血になったりもする。
 そればかりではない。老化をも促進するのだ。
 病気については、あくまでもリスクだろう。運が悪くなけ
れば、大丈夫だという意識は理解できなくもない。
 だが、老化はリスクなどではなく、確実なデメリットだ。
 病気にならないまでも、身体は確実に蝕まれていく。これ
もデメリットだ。
 煙草とは、ここまでのリスクとデメリットを背負ってまで、
吸う価値があるものなのだろうか?
 女性の喫煙者などは、尚更理解できない。
 いつまでも若くありたいと願う女性が、何故煙草などを吸
い続けるのか?
 化粧水やら乳液やらを塗りたくり、エステにも通い、サプ
リメントを服用し、こんなに若さと美しさのために手間と金
を多く注ぎ込む女性が何故?
 煙草を吸わないという事は、何かをするという事ではない。
 何の手間も金もかからないのだ。
 煙草をやめれば、その分で良い化粧品を買えるではないか。
 わざわざ手間と金をかけ、美貌の衰えを引き換えにしてま
で、彼女達を惹き付ける何かがあるのか?
 考えれば考えるほど解らない。
 木村にとって喫煙者とは、異文化の住民だった。

「吸うと、気持ちが落ちつくんだよ。やめたいんだけどさ、
やめられないんだ」
 木村は意を決して、喫煙者の友人に何故煙草を吸うのか尋
ねてみた。
 なるほど、煙草には精神を安定させる作用があるらしい。
 言われてみれば、煙草を吸いながら、ホっとりラックスし
ている姿を容易に想像できる。
 ここまで考えて、木村は愕然とした。
 彼らは、健康と若さを犠牲にしてまで精神を安定させなけ
ればならないほど、情緒不安定だったのか!?
 一日一箱270円を吸ったとして、年間10万円近く費用
をかけてまで!?
 何と恐ろしい事であろう。
 人間同士の付き合いは希薄となり、心の拠り所は失われ、
未来に希望を持てなくなった現代、状況はそこまで深刻化し
ていたのか。
 心の荒廃が叫ばれる今、喫煙率が上昇していく不思議を、
木村は何となくであるが理解した気になった。

 だが、逃避が果たして解決になるのか?
 これでは、中国がアヘンに汚染されたのと、スラムで麻薬
が蔓延しているのと、何も変わりはないではないか。
 気持ちを落ちつかせるなら、新鮮な酸素を吸うとか、アロ
マテラピーをするとか、綺麗な景色を見るとか、クラッシク
を聴くとか、優れた芸術作品に触れるとか、他に方法が幾ら
でもあるはずだ。
 これなら、健康に悪くはない。
 健全な気分転換だ。
 精神を安定させるために、健康や若さを犠牲にするのであ
れば、逃避以外の何物でもない。
 こんな事さえも理解できないほど、彼らは精神的に参って
しまっているのか。
 情緒不安定な人間に、まともな判断能力など期待する方が
間違いなのかもしれない。


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