「新・日の丸君が代法2」


 ある日、乃木がいつものようにマンガ雑誌でも広げるような気分で
旭日新聞を広げると、意外なことが起こった。
 日の丸・君が代の記事がない!!
 特集だけでなく、社説にも、普通の記事にもない。
 乃木にとって、これは有り得ないことであった。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

2010年 1月21日――

【声】主婦 安藤千春

「私達日本人には、みそぎの文化があります。みそぎが済めば、どん
な罪も許されるのです。しかし、この文化は外国の人達には理解でき
ないでしょうし、押しつけてもいけないと思います。新国旗国歌法が
成立してしまったら、反省や謝罪も伝わらなくなってしまうのではな
いかと心配です。独り善がりのみそぎの精神ではなく、真に被害者の
立場に立つ精神こそ尊重されるべきだと思います」

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

 ここにあったか!?
 乃木はやられた〜っと苦笑いを浮かべた。
 「声」にあるとはなあ。

 【声】とは、所謂読者投稿欄である。
 読者が新聞にメールや郵便で意見を投稿し、それが紙面に掲載され
る。

 よくよく考えてみると、この「声」のカラクリが見えてきた。
 乃木は記憶を呼び起こす。
 北朝鮮が軍事演習と称して日本を威嚇していた時も、何故か北朝鮮
を庇う投稿があった。
 運動会で手を繋いで走り、順位をつけないスタイルを実施した学校
の生徒から、感動したとそれを賛美する投稿もあった。
 そう、この「声」は旭日新聞の本音が語られる場所なのだ。
 中立を建前とする旭日新聞は、偏った報道はできない。
 その代わり「読者の声」と称して、本音を語っていたのだ。

 なるほど、この「声」も要チェックだったかと、乃木は己の不甲斐
なさを嘆いた。

 旭日新聞が本音を語れる自由度の順位はこうだ。
 「声」→「偏見珍語」→「社説」→「報道記事」

 今まで見逃していたバックナンバーを覗いてみると、同様の内容の
ものがいくつかあった。
 3日に一度の割合で、こんな読者の声が掲載されるようだ。


 乃木自身は、日の丸・君が代にこんな意見を持っていた。
 日の丸が国旗であろうとなかろうと、さして問題ではない。
 日の丸が戦争をしたわけでもないし、日の丸が戦争を命じたわけで
もない。
 戦争のために作られたマークというなら、絶対に変えるべきであろ
うが、そうでもない。
 戦争をしている時、平和国家として歩んでいた時、変わらず日の丸
は国旗であった。
 何の罪もない日の丸を変えても、日本の戦争責任は消えない。
 日の丸が良いイメージを持たれるように、長い時間をかけて日本は
国際的責任を果たしていけば良いと思う。
 逆に、日の丸の放棄は、戦争責任を過去のものとして放棄したとい
う気運が高まるのではないだろうか?
 君が代は、確かに民主主義理念には適合しないだろう。
 しかし、日本は民主主義国家であると共に、天皇を国民の象徴とし
ている。
 現状の日本に適合しないとは、言いきれないのではないだろうか。
 天皇は長い長い歴史がある。
 日本を長い歴史の中で捉えれば、この国歌はふさわしいのではない
かとも思う。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 2010年 3月20日―――

 旭日新聞の努力も空しく、新日の丸・君が代法案は採択された。
 旭日新聞は頑張った。
 連日、何らかの形で反日の丸・君が代のイメージ操作を試み続けた。
 敗戦の弁ともとれる「社説」が、21日の朝刊に掲載された。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

2010年 3月21日――

【社説】

「昨日20日、【新国旗及び国歌に関する法律】が採択された。国旗
と国歌を認めたくない層が存在する日本は、国際的に見ても特異な状
況だっただろう。だが、この押しつけのような法律でしか、解決策は
なかったのだろうか? 押しつけは問題を解決するどころか、問題を
深刻化させかねないのではないだろうか? 本質的な議論が成されず、
安易な対応をしてしまった感は否めない。
 我々日本人は、以前の戦前の日本人とは違う。民主主義教育を受け、
多様な価値観を学んでいる。現状では、確かに国民の多くが無関心に
近い状態であるが、この押しつけの意味に気付いた時、何を思うのだ
ろうか。我々日本人は、再び試されているのかもしれない」

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

 もう無茶苦茶だなと、乃木は率直に思った。
 多くの日本人にとっては、日の丸が国旗で、君が代が国歌である事
は当り前でしかないのだ。
 積極的でないにしろ、追認している人達が大半なのだから、押しつ
けと煽ったところで、世論は盛り上がらない。
 というか、うちは日の丸・君が代は反対だからと国旗と国歌を拒絶
するような人がいる事がそもそも異常ではないだろうか?
 掲揚と斉唱を義務づける法案の誕生は、異常なものを異常な方法で
カバーしようとしたように見える。
 この点においては、「社説」に賛成だ。
 しかしこの社説では、日の丸・君が代に反対する行動こそ、より知
能レベルの高い姿かのように言っている。
 「社説」で、よくここまでやれたと感心した。
 操作されない国民を馬鹿扱いしているのだから。

 掲揚と斉唱の義務化はともかく、実際問題として、日の丸・君が代
がなくなって困るのは反日運動家の方ではないだろうか?
 日の丸・君が代は、反日のための格好の象徴だったのではないだろ
うか?
 日の丸・君が代がなくなってしまったら、抗議や攻撃の対象は時折
り出る時事的な問題を除いて、全て過去のものになってしまう。
 この2つがあるからこそ、過去と現在とがかろうじてリアルな感覚
として繋がっているのではないか。

 乃木は遊び感覚で読んでいながら、ふとこんな事も真面目に考えて
しまっていた。
 そしてつくづく、旭日新聞は面白いなと子供のような笑みを見せる
のだった。


掲示板に感想を書こう!    へもに感想のメールを出そう!


メイン作品インデックス へ

ホーム へ



SEO対策 ショッピングカート レンタルサーバー /テキスト広告 アクセス解析 無料ホームページ ライブチャット ブログ