「ファッションに疎い彼氏」


 外見をあまり気にしない男というものは、結構いるものである。
 服装はとりあえず変すぎず、気候なりのものを着れば良いと思って
おり、ヘアスタイルもそれなりにまとまっていれば満足という人種で
ある。
 この男、三上静男もその一人だった。
 紺色のGパンはその辺の安売りもので、上の白いトレーナーもどこ
かの特売品だ。靴は、これまた無難なデザインの黒い安売りスニーカー。
黒いバックは、川崎駅構内の売店で1000円で購入した。
 髪型は長くも短くもなく、真中で分け目が作ってある。分け目はや
やギザギザぎみだ。カットは2月に一度、1000円カットの店に行
く。この2月に一度というのもそう決めてあるわけではなく、おさま
りが悪くなってきたなと思ったら行くというもので、その期間がだい
たい2月毎になるのだ。
 特に変というほどの外見ではないが、決しておしゃれともカッコイ
イとも言えない。さほど気にもされない彼のファッションであるが、
もしも周囲の人に詳しい感想を求めたら、こんな回答が中心となるだ
ろう。
 彼の所有する他の服も紹介したいところだが、まあこれと似たりよっ
たりと思ってくれて構わない。数も勿論さほど多くない。 
 この服装であれば、大学の友人や先生に不快に思われる事はないだ
ろう。何も問題はないはずだった。
 しかし恋人という立場ともなると、少し話は変わるのだ。


 佐伯美香は、彼氏の外見に不満を持っていた。
 顔はまあまあカッコイイ方だと思うのだが、ファッションセンスと
いうものがない。いや、センスの問題ではなくて、興味それ自体が希
薄なのだろう。
 佐伯は東京の大学に入学して、ファッションにすっかり目覚めてし
まっていた。貧乏な一人暮らしなのでお金をかけられないのだが、少
ない予算の中から工夫しておしゃれをするのだ。服も高いものでない
なりに、まずまずの物でそれなりに着こなしている。ファッション雑
誌やタレントを参考にして、同じような格好を低予算で真似てみると
いうのも、なかなか楽しいものだった。
 佐伯は漠然と、東京に出たらおしゃれな格好をしてデートするとい
うイメージに憧れていた。それがまるで東京の大学に合格した時の、
自分に与えられるご褒美のような気にもなっていた。
 しかしよりによって肝心の相手が、おしゃれというものから縁遠い
男だったのだ。一人でおしゃれをしても、相手が釣り合わないのであ
れば意味がない。それに、一緒に歩いていてもちっとも誇らしい気持
ちになれない。
 順風満帆とも言える大学生活なのだが、これは少ない悩みの一つな
のだった。
 こんな悩みを持つ女性は、そこそこいる。そしてその悩みは、多く
の場合解決されない。解決しないまま結婚して、子供までいるのにやっ
ぱり不満が蓄積して、中にはテレビ番組の「亭主改造計画」に応募す
る人も出てきたりする。
 佐伯はこの無謀な戦いに挑もうとしていた。


「格好さあ、もうちょっとカッコ良くしようとか思わないの?」
 佐伯は混雑するコーヒーショップで、唐突に切り出した。
 最近急激に店舗を増やしている店で、コーヒーも安くてなかなか美
味しい。
 この話題は決して初めてではないが、何とか説得してやろうと気合
を入れたのは初めてかもしれない。
「ああ、そうねえ」
 三上は興味もなげに受け流す。
 目の前のエスプレッソに指を伸ばし、ちびっと口にする。
 今日の三上の服装は、紺のGパンに黒いトレーナーだ。胸のロゴに
は、今一つやる気が感じられないフォントの金文字で「SUPER 
POWER」と書いてあった。
 佐伯などにしてみれば、こういうトレーナーはどこで売っているの
だろうかと不思議なくらいだった。
「ほら、全然今風じゃないでしょ?」
「別に今風じゃなくったって良いよ」
「ちょっと変えるだけで変わるんだからさ」
「そうねえ」
「どうせだったらさ、カッコ良く見られたいと思わない?」
「そりゃそうだけどさ」
 三上は、いつもと違う佐伯にやや戸惑った。
 何でこんなに力が入ってるんだ?
「だったらちょっと変えてみようよ」
「別に良いよ」
「何で?」
「いや、だって面倒だし」
 佐伯は、微かな苛立ちをいつも感じていた。
 カッコ良く見せるのも、その人の見せ方次第なんだ。
 自分が努力してアカ抜けた経験があるので、このちょっとの努力を
惜しんで放置しておくのは、ものすごくもったいような気がしていた。
「じゃあさ、こういう風に思われたいなとかってない?」
「そうだな、友達ができないと寂しいから、近づき難いと思われるの
は避けたいなあ」
 やばい、その条件は現状でクリアしている。
「他には?」
「う〜ん、そうだなあ」
「カッコ良くなるとね、中身も良く見られるかもよ」
「そういうものか?」
「そうだよ。第一印象は結局外見で決まるんだよ」
「うーん、そうだなあ」
 もうちょっとで落ちそうだと、佐伯は思った。
 とにかく、おしゃれをする事に魅力を感じさせれば良いのだ。
「でも、やっぱり良いよ」
「どうして?」
「そんな外見でしか判断できないヤツは相手にしたって仕方ないし、チャ
ラチャラ着飾るのも性に合わない」
「チャラチャラとかじゃなくて」
「もう良いよ。男に大切なのは中身だろ」
 三上はうんざりしたように言った。表情に、露骨に嫌悪と軽蔑が見て
とれた。
 佐伯は、この言葉でもうダメだと説得を諦めた。
 目の前に金色に輝く「SUPER POWER」が、妙に憎らしく写っ
た。


 その日の夜――。
 佐伯は自室でベットに寝転がりながら、雑誌をめくっていた。雑誌は
友人から譲り受けた先月号のファッション雑誌だ。
 猫のキャラクター柄のパジャマは、つい1週間前一目惚れして購入し
たもの。やや高い買い物になってしまった。
 佐伯は三上をどのようにしたら改心させられるか、作戦を練っていた。
けれど、どうしても良い作戦が思い当らない。自分が買い与えて目覚め
させるのも手だが、そんな予算は到底捻出できそうにもない。チャラチャ
ラ外見を気にするのが性に合わないと言われてしまっては、どう説得し
たものだろうか。
 外見に気を使うのとチャラチャラするのとは違うような気がするのだ
が、彼には同じものに見えるらしい。男が外見に気を使う行為を、カッ
コ悪いと思っているのだろう。男たるもの、外見なんかに気を使うべき
ではないという価値観を持っていて、そういう人達をチャラチャラして
いると見下しているのだ。これは重症だろう。
 そんな時、ふと<見せたい自分を演出する>という文字が飛び込んで
きた。その左横には、金髪のモデルが赤いジャケットを引っ掛けて笑っ
ている。何となく、ひっかかる言葉だった。
 次の瞬間、佐伯の中の漠然とした疑問が氷解した。そうだ、彼は外見
を気にするような男ではないとアピールしたくて、わざわざああいう格
好をしているのではなかろうか。ファッションに関心がない男というも
のを、あのような一見ファッションに無頓着な外見で演出しているとい
う見方もできるのではないか。そういう方を、本当の意味での男のカッ
コ良さだくらいに思っているのだ。あれは、彼なりのファッションなの
だ。
 外見上の演出をするのがファッションであるなら、三上もまたファッ
ションにポリシーを持つ一人だった。
 ここまで考えて、佐伯は更に呆れと絶望の混じった感情になった。
 彼は今までずっと、見せたい自分を演出し続けていたのだ。
 これは長期戦になりそうだと、佐伯は思った。


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