「文学的人生」
山口正雄は小説を書きたいと思い、パソコンのモニターの前に座った。
決まった構想はないが、とにかく何でも良いから書いてみようというわ
けだ。大学が夏休みに入り、幾分退屈だった。
10分ほど考えたが何もアイデアが出てこないので、とりあえず漠然
としたイメージで書き始める事にした。
ΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧ
天気は曇りだった。街は今日もたくさんの人で賑わっていて、年齢も
服装も髪型も色々だった。
私は何か目的があって街に出たのではなく、ただ何となく暇つぶしに
出かけてきたのだ。本当は暇というわけではないので、半分くらいは現
実逃避っぽいかもしれない。一日中パソコンの前に座っていると、気が
滅入ってしまう。あ、気分転換ということで、これも仕事の一部かもし
れない。そう考えると、サボっているような後ろめたさから抜け出して、
ちょっとホッとする。
パチンコ屋の前を通りかかった。ネオンが数カ所切れてしまっていた。
何気なく、私はパチンコ屋に入った。
ΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧ
正雄はここまで書いて読み返してみた。
何だか中学生や高校生の作文みたいだ。
せっかく小説を書くのだから、こうもっとそれらしく書きたい。大人
の文章にしよう。
書き直す事に、正雄は決めた。
ΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧ
鉛色の雲の下、街の賑やかな雑踏は今日も健在である。年齢も服装も
髪型も様々だ。
私は無目的にこの街に訪れた。いや、現実逃避が目的として許される
のであれば、半分はそのためだ。一日中パソコンの前に座っていれば、
気分も鬱屈としてきてしまう。仕事の能率のためにも、気分転換は必要
だ。その考えが、私の怠惰に対する罪悪感を微かに軽くした。
パチンコ屋の前を通りかかった。数カ所切れたネオンは、どこか貧し
さを感じさせた。貧しさに引き寄せれたわけでもないだろうが、私は自
然とその自動ドアをくぐっていた。
ΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧ
お、なかなか良いじゃないか。
正雄は満足した。これは間違いなく大人の文章だ。さっきまでの子供っ
ぽさはもう微塵にもない。
でもまだ何か物足りない。せっかく小説を書くのだから、物事や人間
の本質に迫る鋭い描写をしてみたい。やっぱり文学ってそういうものじゃ
ないだろうか。
正雄は再び書き直しに着手した。
ΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧ
鉛色の雲の下、街の賑やかな雑踏は今日も健在である。それぞれの年
齢、それぞれの服装、それぞれの髪型、無数の人生が交錯する。それが
街というものだ。
私は無目的にこの街に訪れた。いや、現実逃避が目的として許される
のであれば、半分はそのためだ。一日中パソコンの前に座っていれば、
鬱屈としてきてしまう。空は鈍いながらも太陽光を発し、生暖かい風は
私の頬を撫でる。行き交う人間も精気に満ちて見えた。こんな事で人間
は自らの命を実感できるものだと、子供の頃は思いもよらなかった。子
供時代は生命そのものが眩く輝きを発していたが、自分のそれには盲目
だっだ。仕事の能率のためにも気分転換は必要だ。その考えが、私の怠
惰への罪悪感を微かに軽くしてくれた。
パチンコ屋の前を通りかかった。数カ所切れたネオンは、完全にはな
れない人間っぽさを連想させ、寂しげで貧しげだった。人間とはこの途
切れたネオンのようなものかもしれない。私のそれはさぞかし痛み、も
はや光の流動を演出できてはいないだろう。何故か私はその自動ドアを
くぐり抜けていた。まるで自分の中に帰郷するかのような不思議な感覚
に、私は捕われていた。
ΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧΧ
おー! これはなかなか文学っぽいじゃないか。
正雄は、俺には才能があるなと感心した。これは人間の本質に迫る超
大作になるに違いないぞ、と鼻息が荒くなった。
それにしても、こんな風に考えながら生活している人っていうのはい
るのだろうか? よく知らないけれど、太宰とか、有名で深淵な文学者
はそうなのだろうかと思ってみる。
正雄はちょっとそういう風に考えながら周囲を見回してみた。
いつもの何気ない自分の部屋。飾り気の乏しい窓からは茜色の夕日が
指し込み、部屋を鮮やかな朱に染めていた。部屋に指し込む西日を嫌う
人間は多いが、沈みゆく夕日を日常に出来る特権を理解できないのだろ
うか。蒼い硝子でできた筆立てが、部屋を分断するように細長い影をひ
く。その隣には、細長いもう一人の私が座っていた。見えぬ目でこちら
を眺めている。
ややや、これはなかなか楽しい。当り前の日常の一風景が、何とも叙
情的でドラマチックだ。西日なんて本当は眩しくて暑くて好きなもんで
はないが、あんな風に思ってみたら素晴らしいようにも思えてくるでは
ないか。
よし、しばらくはこうして生きていってみよう。
正雄は何だか解らないうちに、妙な思いつきを決意してしまった。
その作業に慣れてくると、正雄は何かをしながらでも頭の片隅で文学
的な変換をできるようになっていた。平凡な生活が凄く高尚なものに感
じられて、なかなか快適だった。
友達と世間話している最中も、こんな調子だ。
中身のない世間話を、当たり障りのないジョークを交えながら楽しげ
に演出する二人。全ての言葉が想定の範囲内に落ちつき、当り前の個所
で相槌を打つ。「うんうん」「そうそう」の空虚な相槌の連なりが、会
話のリズムを形成しているようだった。
お互いに互いをよく知らないが、友達にはなれても親友まではいかな
いだろうという認識は共通であろう。卒業したらかなりの確率で2度と
再会せず、何かの機会に再会すれば満面の笑みで懐かしむくらいの友達
だ。
人間は何故このように繋がりを装うのか。そこまでして、自分の孤独
と向き合えないものなのだろうか。私にとって、人間の孤独は必然だ。
人間は一人で生まれ、成長し衰え、死んでいく。誰も本当の自分を理解
する事はないし、私も誰かの本当の姿を理解する事はないだろう。
そんな冷めた目で見ている自分の反面、その虚飾を喜ぶ自分がいた。
形だけでも笑顔を作ると、人間は明るい気分になるという。きっとこれ
に近い現象なのだろう。
恋人をホテルに連れて入ろうとしている時などにも、
愛という実体なき麻薬に犯された私達に、必然となる性の欲望が訪れ
ていた。もっとも、私は彼女にその欲望が舞い降りるよう、あの手この
手で尽力するのが常だが。
薄いゴムの膜で生殖と切り離された欲望。生殖の目的を果たすためで
なく、ただ欲望を満たすためだけの欲望だ。避妊を理性と呼ぶなら、私
はこれほど醜い理性を知らない。理性的な欲望を満たすため、私はこれ
以上はないほどの優しげな笑みを浮かべ、腰を抱く手の繊細なタッチに
気を配った。
卒業論文を書いている時にも、
参考文献を継ぎはぎして作った論文など、何の価値もない。多くの人
間にとって大学などただの就職予備校に過ぎないなど、そして私がその
一人に該当している事など、誰の目からも明かだ。それほど、学業をし
たというタテマエが必要なのだろうか。偽りに偽りを重ね、世の中とい
うものは出来ているのだとしたら、今、私も一つ偽りを重ね、一人前に
なろうとしているというわけだ。
自分の結婚式にも、
また私は当り前の人生を一つ選択した。あまり美人とは言えない妻と
なる女性が、幸せそうな顔を私に向けた。私はこの女性の気の済むやう
に、目元に微笑みを込めて応じた。
私はおそらく、この女性と当り前の幸せな家庭を築くのだろう。それ
ができるやうに、この女性を選択したつもりだ。異性関係として、私の
方が幾分魅力という部分で格上だ。その意識が、私に心の平静と余裕を
もたらす。きっと子供もかわいいだろう。私は分相応の幸せを問題なく
手に入れるのだ。ちっぽけな幸福の連鎖、それもまた素晴らしいではな
いか。
見ると、彼女の父親が必死に涙を堪えていた。
とまあ、こんな感じだった。
30歳くらいになると、ようやくこの趣味にも飽きてきて、なんだか
冷めている分だけ面白くないと感じるようになっていった。正雄はこの
趣味を止め、普通の生活に戻そうとした。
しかし長年の習性はなかなか抜けないもの。条件反射的に文学的な表
現が脳裏をかすめるという後遺症が残ってしまった。けれども後遺症に
なったそれは不思議と楽しく感じられ、幸いにも悩まされはしなかった。
そういえば、最初に書き始めた作品は飽きて中断したままだ。
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