「人生は辛いという幻想」


 「人生、辛い事の方が多いけれど、少しでも楽しい事
があればそれで生きていける」

 このフレーズは、よく耳します。
 これを少し掘り下げれば、心を安定させ、前向きにさ
せるための「考え方」である事が理解できると思います。
 つまり、このような「考え方」を採用する事によって、
辛いと感じてもそれに負けないような心構え整え、挫け
ないようにする心理的テクニックです。

 人間の心は「理性」によって、ある程度はコントロー
ルの利くものです。
 「考え方」によって、このように心を意識的に動かす
作業が可能なのです。
 これは、「理性」が「感情」や「感性」と相互影響の
関係にあるからに他ありません。

 しかし、ここでよくよく掘り下げて考えてみると、何
故最初から<辛い方が多い>と決めつけているのかと疑
問には感じませんか?
 僕は小学校の頃から、大人たちの様子を見て、これが
不思議で不思議で仕方ありませんでした。

 人間の本能を考えてみましょう。
 人間の本能が感じる「幸福」と「不幸」があります。
 「考え方」の影響を受けずに、必然的に感じる「幸福」
と「不幸」です。

 <他人から良い評価を受ける><恋愛が成就する>
 <食べ物を美味しいと感じる>

 などは、本能的に「幸福」と感じるものです。
 逆の「不幸」では、

 <愛する人と死に別れる><劣等感を持つ>
 <肉体的苦痛がある>

 などがそうでしょう。
 また、それぞれにも度合いや程度があります。

 本能が感じる「幸福」と「不幸」をよくよく勘定すれ
ば、多くの人間にとって、「不幸」側が絶対に多いとは
言えないはずです。
 現在の日本では、生命を脅かされる状況は少なく、飢
えるという事もありません。
 生きていくのに困らない程度の「不幸」を、本能は本
当に重大な「不幸」としか感じる事が出来ないのでしょ
うか?

 回答は否です。
 人生は「辛い」と決めつけてかかるから、本能的には
「辛い」と感じる量が軽微なものであっても、それが増
大されて認識されるに至るのです。
 つまり「人生は辛い事の方が多い」という思い込みが、
現状の認識をマイナス寄りに偏らせているのです。

 「本能」と「感性」はイコールではありません。
 タコを例に出すと、<悪魔の魚>とされている地域で
は、それが「感性」に染みついてしまって、タコを食べ
るなんてとんでもないと考えます。
 タコを食べる地域では、「感性」にタコは食べられる
ものだと染みついているので、そのような考え方の人は
少なくなります。
 ゴキブリも、その存在がない地域の人から見れば、カ
ブトムシともさほど変わりません。
 <汚い><怖い>と扱われている環境で育って、自然
と「感性」にそれが染みついているのです。

 人生観についても同じ現象が起きているのではないで
しょうか?
 ゴキブリが怖いと教えられて、ゴキブリが怖くなって
しまうように、<人生は辛い>と教えられて、人生を辛
いものだと認識するようになっている側面が多分にあり
ます。
 
 冒頭で、「人生、辛い事の方が多いけれど、少しでも
楽しい事があればそれで生きていける」というフレーズ
は、「精神の安定、前向きさ」を得るために採用される
「考え方」だと言いました。
 言わば、マイナスにマイナスをかけて不完全ながらも
プラスに変換させるようなやり方です。
 自分を酔わせて、「不幸」を感じる量を減らそうとい
う部分もあります。
 しかし以上のような事を踏まえると、大変ばかばかし
いとも言える構造だとお気づきになりませんか?

 「感性」に「辛い・不幸」と感じる量を増やすフィル
ターをかけておいて、その「辛い・不幸」を「理性」の
「人生、辛い事の方が多いけれど(省略)」という別の
第2のフィルターにかけて、精神を健全に保っているの
ですから。
 比喩するなら、有害な物質の混ざる水を更に有害にす
る処理を施してから、何とか飲めるようになるようなフ
ィルターをかけているようなものです。

 精神の健全性を保つための作業としては、何とも無駄
の多い構造です。
 心の弱い個人においては、最初の「辛い・不幸」を増
やすフィルターを通してしまった段階で、精神に深いダ
メージを受け、苦しんでいるケースもあります。
 第2の理性のフィルターの働きでは、健全性を保てな
いほどのダメージを受けてしまっています。

 人生を最初から辛い事が多いと決めつけるフィルター
をはずせば、まるっきり世界が変わってくるでしょう。
 「考え方」次第で「幸福」にも「不幸」にもなれるの
であれば、好き好んで不幸を基本にしてしまう事もあり
ません。
 「人生に辛い事の方が多い」など、幻想に過ぎません。
また、このような考え方の方が人間的・精神的なレベル
が高いという風潮も、その価値観を補強するための幻想
です。

 不幸に耐性をつけるのであれば、「辛い事があっても、
楽しい事があれば生きていける」でも良いのです。
 皆が同じように苦しんでいると思い込むような行為は
ごまかしに過ぎず、本当の意味で心を救ってはくれませ
ん。
 ごまかしの上に築かれた安定は、基礎が脆く、心の中
に地雷を設置しているようなものです。

 どうせなら、もっと素直に幸福や楽しさを感じられる
ような「考え方」を採用しつつ、「辛さ・不幸」への耐
性を併せ持つような方向を模索していくべきでしょう。
 「人生は辛い」という認識を前提にしなければならな
いほど、我々は本来「不幸」ではありません。 
 


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